高校留学体験談  
 

ロトルアボーイズ高校(ラグビーアカデミー)を卒業後、日本のプロリーグへ入団

福崎竜也さん



2007年8月下見訪問時 2012年10月帰国時 帰国前に当社オフィスで


<福崎竜也さん本人談>

2009年にRotorua Boys’ High Schoolでのニュージーランド留学が始まりました。
僕のホームスティ先が学校のラグビーのコーチで、とてもよくしてくれました。
最初は英語も全然分からなくて大変だったけど、ラグビーを通してできた友達がいろいろ助けてくれました。
NZに来て3ヶ月くらいたった時、ホームスティの先生が学校の寮の先生になるということになったので、僕も一緒に寮に入ることになりました。

寮に入るともっと友達ができて、英語がだめだった僕もある程度聞き取れるようになりました。
1年目は学校のU15でラグビーをして、Bay of Plenty U15にも選ばれました。2年目は言いたいこともある程度英語で話せるようになりました。3rdXVでラグビーをしてBay of Plenty U16に選ばれました。

3年目は目標だった1stXVで試合にも出られました。最後の試合で腕を折ってしまったけど、学校生活も楽しく過ごせました。これで終わると思ったNZ生活だったのですが、scholarshipという学費が半額になるという制度があって、それでラグビーをするということで、もう1年残れることになりました。

それでも4年目は怪我が続いてあまりラグビーはできなかったのですが、とても充実した最後の年を過ごせました。この4年間の留学生活で、ラグビーは勿論英語も随分上達しました。
コーチや友達に恵まれ、NZラグビーを身につけることができたおかげで、2012年から日本のトップリーグでプレーすることができるようになりました。

これからトップリーグで活躍することが、お世話になった方たちへの恩返しになると思って頑張りたいと思います。

福崎竜也

<お母さま、福崎千帆さん談>

(父親の夢)ーーーーーーーーーーーーーー
高校時代にラグビーをはじめ、大学・社会人とラグビー漬けだった主人は、社会人時代に三度ニュージーランド遠征を経験し、豊かな自然、きれいな街、そして何よりすれ違う人々が自然に微笑みかけてくれるニュージーランドの人達にすっかりほれ込み、「男の子が産まれたら、ニュージーランドへラグビー留学をさせたい」という夢を抱いていました。

平成6年2月、我が家の長男として産まれた竜也は、その父親の夢をずっしり担ぐことになったのですが、本人は「野球がしたい。サッカーがしたい。」とラグビーのラの字も口にする子供ではありませんでした。
そんな竜也を小4で無理やりラグビースクールへ入れたものの、好きでもないラグビーをなんでしないといけないのかと、毎週日曜日が来るたびに泣きながらグランドへ向かう日々が続きました。
竜也が中1の秋、小学校(弟が小5)の国際交流でニュージーランドの男の子をホームステイで受け入れました。

最初は二人とも「絶対受け入れはせんで」と泣いて訴えていたのですが、一緒に遊んだりラグビーの練習をしたりする中で、その子とも仲良くなり、特に竜也はニュージーランドへの関心が少し湧いてきたようでした。
その頃には、少しずつラグビーも楽しくなってきており、本当に良い刺激になったと思います。

(ご縁)ーーーーーーーーーーーーーー
丁度その頃、私のママさんバレーの仲間が「私の高校時代の同級生が、ニュージーランドで留学のお世話をする仕事をしてるみたいよ」と話してくれたのが、徳永社長のことでした。すぐに友達から徳永社長を紹介してもらい、「まずは連絡の取れる環境を」といわれ、パソコンを買い、そこからニュージーランド留学情報センターの方々とのご縁がはじまりました。そして、それまで漠然と考えていたニュージーランドでのラグビー留学が、一気に具体化し「竜也のラグビー留学を成功させる」ことが、我が家の目標になりました。

学校探しからニュージーランドでの生活など、私達にはわからない事だらけでしたが、当時の担当者の古賀さんは何を尋ねても、すぐに的確に回答してくださり、聞くのも恥ずかしいかなと思えるような事にも、丁寧に優しく対応してくださいましたので、本当に何でもいろいろ相談させていただきました。

そして、沢山の時間をかけ沢山のやりとりをしていただき、ラグビーアカデミーがあり日本人が少ない「ロトルア・ボーイズ・ハイスクール」へ通わせたいと、親の気持ちが固まった頃(竜也、中2の夏)、今度はやはり小学校の交流で、こちらからニュージーランドを訪問する年になりました。前年度受け入れた男の子の家にお世話になることで、その小学校のツアーに竜也も便乗させていただくことになり、竜也も1週間のホームステイを経験しました。

また、ニュージーランド到着の日に、徳永社長の案内でロトルア・ボーイズ・ハイスクールへ連れて行っていただいたことで、竜也の中に「ここでラグビーがしたい」という強い気持ちが芽生えたようです。竜也は帰国後、真剣に高校からのラグビー留学を考え、徳永社長が撮ってくださった校舎やグランド・寮の写真を部屋に貼り、毎日ながめながら勉強とトレーニングに励みました。

2007年、フランスワールドカップの年でした。
毎日学校から帰って、17:00〜トレーニング(週末はクラブチームの練習)・19:00〜23:00塾・24:00〜2:00ウトウトしながらラグビーの試合を見る日々が続きました。そして、「スーパー14(現15)でプレーする」ことが竜也の夢になっていきました。

(旅立ち)ーーーーーーーーーーーーーー
2009年、竜也のロトルアでの生活がはじまりました。
頼る人もなく言葉も通じない中で、最初はとてつもなく心細く、どうしようもなく淋しい思いもしていたことと思いますが、やはりラグビーが竜也に沢山の友達を作ってくれました。早生まれの竜也は、Year11で高校のU15・ベイ・オブ・プレンティのU15に選ばれ、申し分のない初年度を送ることができました。

2年目は、高校の3rdXV・ベイのU16でプレーし、3年目にはRBHSの1stXVの試合も経験させてもらえたのですが、高校の最終戦で腕を骨折してしまったため、この年はベイのセレクションも受けられずに、高校生最後の年を終わろうとしていました。
そして帰国後のことを竜也に相談するためにかけた電話で、「できればもう1年残りたい」と竜也の気持ちを打ち明けられました。たぶん、当時竜也の中に、あと1年残ればRBHSの1stXVのレギュラーが獲れ、ベイのU18に選ばれる自信があったのだと思います。

しかし、もともと裕福ではなく、子供を留学させたいと思いながらも、日々を過ごすのが精一杯で充分な学費の準備もできていない状況での留学でしたので、毎年銀行の方に相談しながら何とか3年間分の留学費用を賄ってきた我が家に、4年目を行かせてあげる余裕もなく、竜也には「申し訳ないけど帰ってきて」と言うしかありませんでした。

それからしばらくして、「学校のスカラーシップという推薦制度で、半分の学費でもう1年残してもらえると言われた」と竜也から連絡がありました。それでも、我が家には無理な額でしたが、竜也の強い意思を感じ、主人の両親に二人で頭を下げて協力していただき、RBHSの4年目を送らせてあげることができました。

(トップリーグ入団)ーーーーーーーーーーーーーー
そして、これもまた有り難いご縁なのですが、私の短大時代の恩師がトップリーグのチームスタッフに知り合いがあり、竜也が3年目を終えてホリデーで帰国している間にそのチームの練習に1日だけ参加させてもらうことができました。しかし、まだ腕の骨折が完治していない状態でしたので、翌年の学期休みを利用してもう一度練習に参加してほしいと言われ、4年目の1学期終了後、一時帰国して再度練習に参加しました。
ただ、この時も残念なことに高校の練習で今度は足首を痛めてしまい、またしても充分なプレーをすることができませんでしたが、有り難いことに後日そちらのチームより採用の連絡をいただいた時には、夫婦で大喜びしました。

怪我がつきもののラグビーというスポーツで、高校3年まで怪我らしい怪我をしたことのなかった竜也が、腕を骨折し、足首を痛め、それでもトップリーグのチームから採用していただけるだけのものを身に付けていたということは、RBHSでのトレーニングやコーチングがどれほど素晴らしかったかを物語っていると思います。
中学までは、普通のラグビー少年でした。その竜也をRBHSでの生活が、少年から青年へ、しかもしっかりと成熟した青年ラガーマンヘ成長させてくれました。

(留学センターの方々)ーーーーーーーーーーーーーー
4年に亘る留学期間中、センターの方々には本当にお世話になりました。学校とのやり取りはもちろん、ビザの更新や外泊の連絡・お小遣いの管理までしていただき、おかげで私達は何の心配もなく、日々を過ごすことができました。高校留学の担当の方も、古賀さん・小川さん・古屋さんと代わられましたが、どの方が引き継がれても、とてもスムーズに一様に適格に丁寧に対応してくださいました。

そう言えば、2年目に向かう飛行機が、離陸時のトラブルでタイヤがパンクし、成田で一泊した時は見次さんにも大変お世話になりました。すぐに航空会社へ連絡して様子を知らせてくださり、宿泊や次の便の確認をとってすぐに私達に知らせていただいて、本当に頼もしく感じました。

また、RBHSでは、留学担当のウォーカー先生が生活全般の手助けをしてくださいました。センターの方と先生との連携もしっかり取れていて、学校からの成績表などは訳して送っていただき、逆に学校から我が家にダイレクトに届いた書類で、読めずに対応に困った時もセンターへ連絡すれば、すぐに学校へ問い合わせてくださり、本当に申し訳ないくらい全てお任せでしたが、私達にとってセンターの方々は大変有り難く心強い存在でした。

(感謝)ーーーーーーーーーーーーーー
2012年10月2日、4年間の留学を終えて竜也が帰国し、「竜也のラグビー留学を成功させる」という我が家の目標が達成されました。この成功は、徳永社長をはじめセンターの方々なしでは語ることができません。
足掛け7年に亘ってお世話になったセンターの方々、高校の先生方、地域の方々、竜也に関わってくださった全ての方に感謝の気持ちでいっぱいです。そして、RBHSで各国にできた友達は、竜也にとって何よりの財産です。

「もう竜也は、私達とは違う次元を歩き出したね」と、よく夫婦で話をします。
私達夫婦だけでは叶えられなかった主人の夢を、沢山の方のサポートで叶えることができました。
今度は竜也が、自分の力で自分の夢をつかんでくれることを、楽しみに期待したいと思います。

沢山のご縁と、お世話になった方々に、心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。

福崎千穂


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